梅龍鎮の歴史
「梅龍鎮」は京劇の題名であるが、明朝正徳皇帝が山西の梅龍鎮で茶楼が林立して栄えていることから、酒楼として有名になり、京劇の題名にもなった。
上海の梅龍鎮は、1938年に、文化人のTEA SALONとして俳優の呉湄が経理(マネージャー)常務董事が李伯龍であるのでその発音から呉湄のMEI 梅と梅龍鎮 と名づけ、静安別荘にOPENして家庭料理を提供。呉湄は30年代にすでに有名な女優であった。 藍萍を支援したが文革時代に自殺。
女性マネージャー呉湄は、『時報』の記者である陳万理夫人であったが、陳万理が西南地区取材で、<<西行艶異記>>を『時報』で発表後、異郷で行方不明となり未亡人のなった呉湄が開き、女友達が会計を担当。
錦江飯店の董竹君と似た歴史。
http://www.easysea.com/xiandai/zs-wj/006.htm


Recent Comments